漂流ラブレター

きらめきをだきしめる

田中樹ちゃんの愛を感じて泣けてきたので深夜のうちにポエムを吐く

田中樹ちゃんが好きだ。それこそポエムでも吐かなきゃ暴れ出しそうなくらいめちゃくちゃに好きだ。

 

2020年2月8日、6週間ぶりのじゅりぶろ*1が更新された。2020年になって、デビューして、初めての樹ちゃんの更新日だった。

 

いつものように「どうも〜SixTONESの田中 樹で〜す」から始まる。

ああ、樹ちゃんの使う長音符が好きだ。まっすぐじゃなくて、ふやふや〜って波打ったゆるい長音符。半角空けられた田中と樹の間の空白が愛おしい。樹ちゃんがそのまんま喋ってるみたいだなっていつもにやにやしてしまう。

たまに「どうも」の後に長音符がない時がある。そのことに樹ちゃんは特に意味なんて持たせていないだろうけど、波打った長音符がひとつないだけで、私の脳内樹ちゃんはいつもより少しだけ背筋を伸ばして話し始める。そういう時はなんだかブログの内容もいつもよりちょっとだけ引き締まっている気がする。気がする、だけで樹ちゃんのブログはいつも私たちに丁寧に、楽しく、優しく話しかける。

 

 

樹ちゃんは遅めの新年の挨拶をしてくれた後に「やっと自分の番が回ってきた」「長かった」と私たちに向けて言ってくれた。ブログの終わりには「今決められてる更新頻度じゃ我慢できない!みんなも同じ気持ちだよね?」とまで言い放ち、更新頻度を増やすことをスタッフさんに掛け合ってくれるような口ぶりだ。

 

私は泣きそうになった。そんなことでいちいち泣くなと言われるかもしれないけど、私はじゅりぶろで樹ちゃん自身と樹ちゃんの言葉を好きになって、SixTONESを応援したいって心を決めたから、樹ちゃんのブログを樹ちゃんが持ってくるどんな素敵なお仕事より楽しみにしているかもしれない。だから樹ちゃんがブログを書くことを待ち遠しく思ってくれていたのを知ったとき、満員電車で奇声をあげて膝から崩れ落ちそうになるくらいには衝撃的で、嬉しかった。(もちろんデビューについて触れた文章でも号泣した)

私は日は浅いながらもアイドルのオタクをするのは初めてじゃないし、他グループや他界隈のオタクをしている知り合いから話も聞くけど、私の知る限り、多くのアイドルにとってブログの更新ってそこまで優先順位の高いことではないから。更新日にブログが更新されないというちょっとした切なさを味わったことはあっても、更新日増やそう!我慢できない!なんて私は聞いたことがなかった。

 

有料のブログなんて基本、もう既に腕の中にいるファンのためのものだけど、樹ちゃんはその既にファンである私たちと寄り添うことに今よりももっと時間を、言葉を多くかけたいと言うのだから本当にまいった。しかもデビューしたての多忙を極めるこの時期に。

 

 

そもそも樹ちゃんは自分は時間にルーズな人間だと公言している。ストちゅーぶ*2の以心伝心ゲームでは、なかなか回答が揃わない中、やっと六人全員揃った記念すべき1問目が「SixTONESで一番時間にルーズ人」で「田中樹」だったし(今は遅刻しなくなったらしいエライ)、寝坊助すぎてパジャマ姿はもちろんパンツ一丁でオタク(カメラ)の前に現れそうになったことがあるし、雑誌では「どうでもいい人との待ち合わせは遅刻しちゃうかも」とか仰っている。終いにはLINEはスタンプ送る時間は無駄だから送らないみたいなことを言う。スタンプなんか2秒ありゃ送れる。

 

そんなわりと時間にテキトーどうでもいい人間にテキトーかましてきたらしい樹ちゃんが、ほぼ200%の可能性でエゴサして、ファンの気持ちに寄り添って時間をかけて、言葉を選んで丁寧に丁寧にブログを書いてくれる。ありがとうと驚くくらい文字にして私たちに届けてくれる。もしや魔法使いなのではないかと少女チックな疑問を抱くくらい私たちが欲しい言葉を与え続けてくれる。

これはどう考えても、我々オタクは田中樹さんにめちゃくちゃ大事にされている。樹ちゃんが私たちファンに対してちょっと力抜いたな、と感じたことがほんの一瞬もない。少なくとも私が樹ちゃんを好きになった日から一度も。

 

もはや我々が田中樹ちゃんに大事にされていることは、太陽が東から出て西に沈むくらいの普遍的事実だと思う。田中樹ちゃんが私たちをどれほど大事にしてくれてるか教科書に載せるべきだ。義務教育で教えてくれないと後々困る。

 

 

 

私が樹ちゃんを好きになったのはじゅりぶろがキッカケだと書いたけれど、樹ちゃんを好きになった時もまさにこんな感情だったし、ブログを読んで今と同じようにガチ泣きしていた。「みんなの頑張りわかってるよ、ありがとう」と誰ひとりの思いも取り残さないように丁寧に綴られた一文も「また俺らに力をかして」と短いなかに沢山の思いが込められた一文も、あの頃何度も読み返した。その当時私はファンとまではいかなくて、だからもちろん私に向けられた言葉でなかったのに、その時一番欲しかった言葉をもらえたような気がした。やはりそれも魔法みたいな不思議なことだった。

本音を言えば、応援したいという気持ち以上に「この人に大事に思われる人はなんて幸せなんだろうか」「羨ましい」「この人に大事にされたい」という厚かましくて不純な気持ちで樹ちゃんを好きになったけれど、今、同じような感情で私が泣いているのならやっぱり樹ちゃんはあの頃と変わらずにいてくれているんだろうな。

 

 

このツイートの後にもたぶん同じ話をしているけれど……良くも悪くも知れば知るほど他人のイメージって変わるものなのに、私が一年と数ヶ月前に好きになったアイドル田中樹ちゃんは私のなかで今もそのままの姿で存在している。

もちろんリアルな話をすれば変わらない人なんていないし樹ちゃんも私もみんな何かしら変わってるはずなんだけど、なんて言うんだろう、大事にしてるものが変わってないって言うんだろうか。一番深いところが樹ちゃんはずっと変わっていないんだろうなって思う。

樹ちゃんがずっと変わらない言葉でファンを大事にしてくれることがすごく幸せだし、樹ちゃんが変わらずにいてくれたおかげで、願っていた通り私は〝樹ちゃんに大事にされる人(ファン)〟になれたことがすごく嬉しい。やっぱり樹ちゃんに大事に思ってもらえる人って幸せだったんだなって実感している。

 

その後デビュー前のインタビューで、樹ちゃんが偶然、「変わらないことって難しいと思うんですけど、俺はずっと変わらずにいたいです」みたいなニュアンスで答えていて、厚かましいオタクだから返事が返ってきたみたいだな〜ってやっぱり泣いてしまった。樹ちゃんが変わらないでいるからこそ起こる偶然。それはやっぱりもう必然だと思う。

 

 

じゅりぶろは樹ちゃんがSixTONESとして奮闘して、私たちファンを変わらずに大事にしてくれた記録であると思う。そう結論づけたいところだけど、そういえば私たちファンはSixTONESの7人目でSixTONES運命共同体*3なので「SixTONESとして奮闘して、SixTONESを変わらずに大事にしてくれた記録」という表現が正しいのかもなんて考えて、やっぱり私は厚かましいオタクだなあと居た堪れない気持ちになった。

だけどもし〝ファン(他人)を大事にする〟樹ちゃんを〝SixTONES(自分たち)を大事にする〟樹ちゃんと全くの同義にするのなら──誰かはそんなのは打算的だと言うかもしれないけれど──他人のためではなく自分自身のために他人に親切にしてると言う樹ちゃんと重なって、他人のためにあれよこれよとしてくれる聖人君子よりもよっぽど健全に思えてほっとする。そして同時に、自分自身のためと言いながらも、人一倍他人を気遣い他人に優しさを遺憾なく与えられる樹ちゃんが少し心配になる。自分のためにしては他人に愛を与えて回りすぎじゃない?って。

さっきから面倒臭いことばっかり言ってるな〜と思うんだけど、とにかく何にも縛られることなく樹ちゃんが生きやすいように生きてくれたら私はそれが一番嬉しいな。自分のために生きてほしいし、自分が楽しいからアイドルであってほしい。自分が書きたいからブログを書いてほしい。ファンのことを大事に考えすぎて疲弊するなんてことは一生あって欲しくないなあと思う。

 

 

話が飛躍してしまったけど(笑)、だからやっぱり樹ちゃんが自らブログの更新頻度を上げたいと言ってくれたということは、これまで樹ちゃんにたくさん気を遣わせてしまったであろうブログも樹ちゃんにとって負担や責任感ばかりではなかったんだなと分かって本当によかったなあと安心した。嬉しいだけじゃなくて、安心。

 

これからじゅりぶろやすとぶろの更新がどうなるにしても、樹ちゃんがこれまでと同じようにブログを楽しんで書いてくれますように。これからもハピネ〜ス♡な気持ちで私たちに言葉を届けてくれますように。

 

 

 

 

 

 

なんてきらきらポエマー全開で思考をめぐらせる深夜はとびきりに幸せなので、樹ちゃんはやっぱり私たちの魔法使いなのかもしれない。樹ちゃん、いつもたくさんの愛をありがとう。

 

 

*1:田中樹が更新する〝すとーんずのぶろぐ〟のこと。毎週土曜日にメンバーが週替わり更新

*2:SixTONESYouTube

*3:SixTONESがライブのMCやインタビューでファンについて度々そう語ってくれている